「でもさ、できるならホントお願いしたいよ」
哀願するような声に、美鶴は少し眉を寄せる。
「それがダメなら、美鶴が会ってよ」
「は?」
「シロちゃんに」
思わず口を閉じる。
「シロちゃんさ、そろそろ動き出さないといけないと思うんだ」
できるだけゆっくりと、噛み砕くように話す。
「この間ね、施設の子が一人、寿司屋に就職が決まったの。その時シロちゃんね、就職かぁってぼんやりと呟いててね」
クリクリとした瞳を虚ろにさせて可愛らしく首を傾ける。そんな姿など、容易に想像できる。
「きっと考え始めてるんだと思う」
「何を?」
「自分の進路」
美鶴は視線を少し落した。
自分の、進路。
「進路なんて大袈裟な言葉を使うのも変なのかもしれないけれど、いずれは施設を出なきゃいけないワケだし、現実を考え始めてるんだと思う。いつかは考えなきゃいけない問題だし」
いつまでも施設の中に閉じこもっているワケにはいかない。唐草ハウスだって、一生を世話してくれるワケではない。
「だからね、勇気を持って施設の外へ出て行くために、動き出さないといけないと思うの」
「それとこれとが何の関係がある?」
「シロちゃんが閉じこもるようになった原因は、美鶴だよ」
ツバサは慌てて付け足す。
「あ、別に美鶴が悪いって言ってるワケじゃなくって」
「わかってるよ」
「ごめん」
「いい、気にしてない」
ぶっきらぼうに答え、先を促す。
「で? だから、里奈が施設を出るためには、私と会わなきゃならないと?」
「会って、美鶴との蟠りみたいなものを解消するのが一番効果的なんじゃないかなとは思う。でも」
そこから先を言い澱む。
そうだ、これはシロちゃんの為だ。
「でも?」
訝しげな相手の声。ツバサは意を決する。
「美鶴に会う以外の方法も、出てきたのかもしれない」
「他の方法? 何?」
「金本くんと会うの」
ツバサは少し携帯を強く握る。
「シロちゃんね、金本くんの事が苦手みたいなの」
「昔からそんな感じだった」
「でもね、お礼をしたいって自分から言い出したの。これってね、社会に興味を持ち始めた良い兆候なんじゃないかとも思うの」
確かに、世間に背を向けているような人間だったら、誰かにお礼がしたいだなんて、わざわざ言い出したりはしないだろう。しかも相手は苦手とする人間だ。
「金本くんの事は怖いかもしれないけれど、でも助けてもらったんだからお礼はしなきゃいけないって。そう思えるようになったのはすごい進歩だと思うんだよね」
そう言われるとそうなのかもしれない。美鶴はこのような自閉的な人間と深く接した事は無い。逆にそのような人間と毎日のように接しているツバサがそう言うのなら、そうなのかもしれない。
「だから、金本くんと会わせる事で、シロちゃんの社会性を刺激してあげる事はできると思う。シロちゃんが満足のいく結果を得ることができたなら、それは自信にも繋がって、もっと外の人間と接してみようって気にもなれるかもしれないんだ」
話し続けるツバサの声が、だんだんと熱を帯びてくる。
「だからね、せっかく作った手作りのチョコレートなんだから、金本くんになんとか手渡しできるようにしてあげたいんだ」
手作りの、チョコレート。
美鶴はぼんやりと心内で呟き、そうして瞳を閉じて嘆息した。
「言いたい事はわからないでもない」
まずそう一言。
そうして瞳を開き、しばらく部屋の隅を睨む。
里奈の事は、どうにかしなければいけないとは思っていた。本当は私だって、会って決着をつけなければならないとは思ってはいるのだ。
決着だなんていうと、まるで私と里奈が決闘でもするみたいだが、縒りを戻すにしろこのまま決別するにしろ、なにかしらのけじめはつけなければならない。そうでなければ自分も、自分に自信が持てないままなのかもしれない。
自分に自信が持てない。
その言葉が、なぜだか頭の中でパチンと弾けた。
里奈との関係にけじめがつけば、自分は自分に自信を持つ事ができるようになるのだろうか?
自信? 自信を持つと、何か良い事でもあるのか?
髪の毛から漂う銀梅花の香り。
霞流さんに対して、少しだけ自信がつくかも。どんな自信なのかは、見当もつかないけれど。
「とりあえず、聡に言うだけは言ってみるよ」
気づいた時にはそう答えていた。
「ホント?」
携帯の向こうから弾むような声。
「でも、あんまり期待しないでよ」
「わかってる、わかってる」
「本当にわかってるのか?」
呆れたような声にツバサは強く頷き、その力強い声に美鶴は少しウンザリしたような声で、そんなに盛り上がるなと冷たい言葉を放ちながら電話を切った。
別に、悪い事じゃないよな。
切れた携帯を見つめる。
チョコレートって言ったって、別に里奈は聡に告白をするワケでもないんだし。ただ助けられたお礼がしたいだけだから。
だが、女子高校生に絡まれたところを救い出されたくらいでわざわざお礼に手作りのチョコレートとは、些か大袈裟ではないだろうか?
里奈にとっては当たり前の事なのかもしれない。昔から気弱な少女だった。女子高校生数人に囲まれたら、それだけで震えあがってしまうだろう。
脳裏に、幼き日の可憐な少女が浮かび上がる。虐めてくる同級生から護ってやるのが自分の使命だと思っていた、あの頃。あの頃と何も変わっていないのだとしたら、彼女にとって聡の行為は、命を救われたに等しい善行なのかもしれない。
里奈と会えって私が言ったら、聡はどんな顔をするだろう? 怒るだろうか? でも、別に里奈と付き合えって言うわけじゃない。聡の好意を、無視するワケじゃない。
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